アメリカが発祥のあることについて、ブログを書き、最後に「さすが、人種のるつぼですね」と結ぼうとして、ふと、気が付きました。
そういえば最近、人種のるつぼって言いませんよね。
私が小中学生の頃は、先生がよくその表現を使っていました。(高校のときは、あんまり勉強しなかったので記憶にないw)
るつぼというのは、金属やガラスをドロドロに溶かすための入れ物のことです。
色々な民族が混ざり合って暮らしている他民族国家のアメリカを指す言葉でしたが、Wikipediaで確認してみると、な、な、なんと、今は「人種のサラダボウル」というそうです。えーっ、それってホントなの?
るつぼというのは、溶け合って融合している状態ですが、現実のアメリカは決して融合はしておらず、それぞれが民族固有の文化を維持したまま暮らしあっているので、トマトはトマト、レタスはレタス、といったように、素材が独立している状態から、サラダボウルと言われているそうです。
「混ぜても決して溶け合うことはない」という意味から共通文化を形成していくるつぼに対して並立共存の状態を強調した「サラダボウル(salad bowl)」が用いられるようになった。そのため最近では、「人種のサラダボウル」と言われる方が多い。
はぁ、そうですか^^
でも、私は今の今まで、「人種のサラダボウル」なんて言葉、今の今まで一度も聞いたことがないぞ?
教育現場では、多用されている言葉なんでしょうかね。
今、私は50代、息子たちは30代で、残念ながら、学校で教育を受けている人間は誰もいません。
これは、孫たちが小学校の高学年ぐらいになるまで、わからないかもしれないし、その頃には、もっと違う表現になっているのかもしれませんね。